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苦しい時には?

【自分を見つめ直し短歌を】

「うらうらに照れる春日に雲雀上がり心悲しも独りしおもへば」


奈良時代、大伴家持の短歌です。


うららかな陽の照っている春の日に雲雀(ひばり)が空高く上っている。私は悲しい、独り物思いをしている


といった意味でして、普通なら自然にウキウキしてしまうような陽気の中だけに、一層作者の深い憂いが伝わります。


家持はこの歌に続けて「物悲しい心は歌でなければ払い難い」と記しています。


では、なぜ短歌を作ることで憂い心を取り去ることができるのでしょうか?


それにはこういう理由があるようです。短歌作りは自己を客観視する力が養われ、自己理解が深まるということ。今風に言うとメタ認知力があがるとでも言いましょうか。

短歌、いかがですか?


習慣クリアならず!


短歌は敷居が高かった。。。

ちなみに、私は俳句を作ったりしてます。今は少しお休みしてますが、俳句も似たようなところがあるような気がします。


個人的な感覚として申し上げれば、俳句は写生や写真に情感の深さと奥行きが加わったもので、作っている季節や作者の心持ちがダイレクトに反映されることが多いと感じるから。


短歌がどういうモノなのか分からないので、それと比較して申し上げることできませんが、自分の心持ちを振り返る動作として俳句っていう方法もあるかな。と感じた一日でした。仕事落ち着かせてまた早く句会にでたいです!俳句仲間の皆様、おやすみすみません🙇🏻‍♂️



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