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161話 15個の石と知足

【あるもの ないもの】


「ある ある ある」というタイトルの詩(し)を知っていますか。詩の作者である中村久子さんは、岐阜県の飛騨高山に生まれ、突発性脱疽(とっぱつせい だっそ)という病により、三歳までに両手と両足を切断しました。



母親の厳しい教育と、久子さんの努力により、結婚して出産と子育てを経験し、料理や裁縫・掃除など家事全般を器用に行なっていたといいます。



昭和十二年に来日したヘレンケラー女史より「私より偉大な人」と賞され、その生き方に共感した人たちに招聘(しょうへい)され、各地を講演して回りました。



久子さんの生き方は、自作の詩からも伝わってきます。「みんなある さわやかな 秋の朝」とその詩は括られ、全体からは「ないことを嘆くより、有るものを見つけて幸せに生きよう」との、メッセージが伝わってきます。



起床から今仕事をしているこの瞬間まで、「当たり前」のように思っていることに着目し、自分が存在すること、人からしてもらったことを思い起こしましょう。



自分を支えてくれている人や物に感謝する機会を多く持ちたいものです。



さて結果は?

習慣クリア!



一昔前に、ひとり旅の途中に京都の龍安寺に立ち寄りました。目的は「石庭」と「つくばい」です。



石庭に全部で15個ある龍安寺の石。それが、どの角度から見ても14個しか見えないんです。東洋では「15は完全を表す数字」で、不完全な存在の人間には、あえて14個しか見えないようにしているそう。その見えない1つは、「心眼(心の目)」で見なさいということなんでしょうか。



そして「つくばい」



「つくばい」とは日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置されます。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもので、手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名が付けられています。元々は、茶道の習わしで、客人が這いつくばるように身を低くして、手を清めたのが始まりだそうです。



このつくばいには四方に文字が書かれており、中央の水穴を「口」の字として共用し、「吾唯足知 (われ ただたるを知る)」と読むことができます。



吾唯知足とは、お釈迦様の説く「知足(ちそく)のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という「知足」の心を表したもの。



私的な解釈として


手に入れられないものに対して不満を抱くのではなく、今ある現状に感謝し満足できる人は、常に満ち足りていて心が平穏である。

こんなところなんでしょう。



石庭では15個の石を全部みることができません。それでも今見えているものに感謝、満足しなさい。と「つくばい」は言っているのでしょうか。



欲は人間の本質ですから、完全に無くすのはとても難しいことです。それならば、今あるものにフォーカスして、それに感謝することで心穏やかに日々を暮らしたいですね。



ふと一昔前を懐かしんだ1日でした。今日も一日お疲れ様でした!

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