181話 芦田愛菜さんから学ぶ
【それにしてもすごいなぁ】
中国の古典である『論語』で、孔子は、政治を行う上で最も大切なものは「信(しん)」であるとして、「民信無(たみしんな)くんば立たず」と説いています。
その意味は、民衆というものに「信」がなければ、国家は成り立たない。政治で最も重要なことは、国民の間に「信」の心をもたせることだというのです。
国や政治だけでなく、「信」は、社会を根底から支えているものなので、社会の中から「信」がなくなれば人間社会は成立しません。企業や家庭など、組織といわれるものも「信」が根本となって成り立っているといえます。
「信」のつく言葉には、信用、信愛、信頼などがあります。企業が信用を失えば、その存在は危うくなり、家族の信愛がなくなれば、家庭は崩れていきます。
「信」は人間関係の本(もと)であり、組織の乱れは、「信」が欠けたことから起こります。
職場の仲間を信頼しているだろうか、信頼されているだろうか。家族を信じ愛しているだろうか。家族に信じられ愛されているだろうか。折に触れて、自分の信じる心を振り返ってみたいものです。
さて今日の学びは?
ふと以前、芦田愛菜さんが主演映画「星の子」の完成報告イベントでの「信じる」をテーマにしたコメントした内容を思い出しました。
”その人のことを 信じようと思います” っていう言葉って結構使うと思うんですけど、それってどういう意味なんだろうっていうのを考えた時に
その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっている。
ことなのかなって感じて、
だからこそ人は 裏切られたとか期待していたのにとか言うけれど、別にそれはその人が裏切ったとかそういうわけではなくて、
その人の見えなかった部分が見えただけであって、
その見えなかった部分が見えた時に、あっ!それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいるというのが、信じるられることなのかなって思ったんですけど。
でも、その揺るがない自分の軸を持つのはすごく難しいじゃないですか。
なんかだからこそ、人は 「信じる」って口に出して、不安な自分がいるからこそ、例えば成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりに、すがりたいんじゃないかな~って思いました。
とても哲学的で好きな表現で、とても勉強になった事を思い出します。
信じたいけど、信じられない。なんて言葉もよく聞きますが、結局は「自分」なんだと思います。
芦田さんは「自分の軸を持つって難しい」と話されていましたが、私はそんなに難しい事だとは思いません。
なぜなら
人は鏡 万象は我が師
だから。
相手の信じられない部分は、自分自身にも言える事ですので、自分自身のそれを信じられるよう行動すればいいだけ。
そうすれば、自分を信じられるようになる、自分を信じることができて初めて相手を心から信じることができるのではないかなと思います。
今日も一日お疲れ様でした^_^
