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217話 ニーチェから学ぶ自己肯定

【ニーチェから学ぶ】


秋の深まりを感じるこの時期は、作物や山野(さんや)の実りが豊かになり、冬を控えて活動が活発になる時期でもあります。



秋は私たちにとって、「スポーツの秋」「読書の秋」など、趣味や学習に取り組むのに良い季節とされてきました。涼しく過ごしやすい気候や、花や紅葉で色づいた景色などに創作意欲をかき立てられるのがその理由でしょう。



季節ならではの彩りで人々を魅了し続けてきた秋は、様々な分野の芸術で表現されてきました。日本では「秋の夕暮れ」という下の句で作られた三種の短歌、「三夕(さんせき)の和歌」などが有名です。



食卓には鮭や秋刀魚だど、秋ならではの味覚が多く並びます。新米の季節でもあり、味わい深い料理に舌鼓を打つことも、秋の醍醐味といえるでしょう。



心が潤えば、日々の仕事に対しても、いっそう朗らかに積極的に取り組めるようになります。そのためにも、様々な楽しみが凝縮している秋を満喫してみてはいかがでしょうか。



さて今日の学びは?



皆さまは、どのような◯◯の秋をお過ごしでしょうか?



私の例年の秋は、食欲の秋に特化していました。がしかし!今年は少し様相が違います。



今年の秋は、普段私の一番遠くにあるものをやってみよう。



ということで、【読書の秋】にしてみたい。



突然ですが、私の名前は「中村 哲士」です。

名前をお伝えする時には「哲学の哲に武士の士」とお伝えしています。



そんな自分の名前の「哲」にちなんで、今年の秋は哲学の文献や読み物を漁っているところです。



そこで前々から気になってはいたけれども、手に取ることのなかった【神は死んだ】のフレーズで有名な「フリードリヒ・ニーチェ」に挑戦してみました。



ここからは、ニーチェの一部を私の解釈や主観でまとめましたので、お詳しい方なら本来のニーチェの主張から少しズレているとお感じになるかもしれません。その辺りはご愛嬌でお許しを。



ニヒリズムからの末人

ニヒリズム(虚無主義)とは、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないという主張で、この事を踏まえて神や真理は存在しないという考え方に至ったんですね。



そしてその、ニヒリズムが「末人」を作り出す。「末人」とは人生に目的もなく、できる限り衝突を避け平凡に余生を送る人のことを指しています。ニーチェはこのような「末人」ではなく対極に存在する「超人」になる必要があることを説きます。



では、そうなるには?



「永遠回帰」という考え方を踏まえて申し上げると、「永遠回帰」とは同じ事が無限に繰り返される人生の無限ループという仮説で同時に、人間にとっての最大の重し。



これを人生を好転させる「思考法」として発展させます。



もし仮に永遠回帰が実際にあったとしたら?



あなたは否定的な人生を望みますか?

それとも肯定的な人生を望みますか?



不安、恐怖、嫉妬、失望、自己不信にとらわれ、人生を悲観的に捉えることしかできない感情に囚われた時、苦しい人生を目の前にし、死にたくなるほど絶望した時、これこそが人生なのか、だったらもう一度かかってこいといい、勇気を持って立ち向かうこと。



否定的な自分を自ら噛み殺し、新たな力強い自分に生まれ変わる覚悟を決めよ。


これが「超人」になる方法。




今生きているこの瞬間を、これこそ私の人生なのだと自信を持って肯定できる人は、これまで歩んできた過去を振り返っても、これで良かったんだと肯定する事ができる。



そして未来に対しても臆することなく前向きに肯定的に歩んでいく事ができる。



今この瞬間を肯定してしまえさえすれば、永遠の肯定ループが生まれる。



だから今を肯定する事が大切。



これが、およそ到達しうる限りの最高の肯定の定式。ここにつながるんですね。



最後に「運命愛」

自分の運命を全て受け入れ、肯定し、愛する心の態度を意味する。



たった一度でいい、本当に魂が震えるほどの悦びを味わったのなら、その人生は生きるに値する。


こう説いています。


ニーチェの一部を知る事で、またひとつ生きることの深みを知る事ができた気がします。



自己肯定が全ての歯車をうまく噛み合わせ、人生をより良いものにできるとしたら?



皆様はどうお感じになりますか?



読書の秋。いいですね!



皆様も色々な面で実りの秋を迎えてください。

今日も一日お疲れ様でした!

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